川越ワールド・ジュニアーズの歴史
【はじまり】
川越ワールド・ジュニアーズ(以下「ワールド」)は1972年(昭和47年1月)に産声をあげました。
その頃の上戸(うわど)小学校周辺は畑や草原も多く、人家にさえぎられることなく遠くの山々が見渡せるなど、自然を身近に感じることができました。
小さな空き地で「近所の子供たちが野球をやっていて、けんかになり、その仲裁に入ったのがきっかけで面倒を見るようになった」のがワールドの始まりです。
最初はお母さんのお手伝いだけで運営されており、ユニフォームもありませんでした。
当初は近所のみどり会の小さな空き地や現在の西文化会館(メルト)の学校跡地などで活動をしていましたが、上戸小が1976年(昭和51年)に創立されてからは上戸小がワールドのホームグランドとなりました。
1980年ごろ(昭和55年前後)に父親が指導者に加わり、チームとしての形ができました。
指導者・役員・団員など一定の陣容を整え、川越市少年野球連盟に加盟したのが1983年(昭和58年)のことです。


【名前の由来】
創立当時、〇〇タイガース、△△ジャイアンツなどプロ野球のチーム名に似た名前を名乗るチームが多くありました。子供たちを含めてみんなで話し合っていたときには、それとはちょっと違った名前を付けたいと思っていたそうです。
そんななか、近所の強豪チーム「ジュニア東洋」(現:名細少年野球団)になかなか勝てなくて、悔しい思いをしていました。
“東洋”より大きい、“東洋”より上の名前を付けよう・・・
そうだ、「ワールド」が良い!ワールドクラスの子供たち!
という理由で命名されたのが「ワールド・ジュニアーズ」です。
2022年(令和4年)からは、「川越ワールド・ジュニアーズ」と登録名を変更しました。
【会費】
当初は保護者や地域の方々の協力に助けられていました。パチンコの景品でもらったチョコレートをおやつに差し入れてくれたり、地域の有志の方が餅つき大会のもち米を寄付してくださったり、たくさんの地域の方に見守られながら活動をしてきました。
当初の会費は無料でした。どうしても必要なときだけ集めており、「できるだけお金をかけずに活動しよう」としていましたが、連盟加入にあたって『会費を集めること』などといった基準もあり、月500円の会費を集めることになりました。
1984年(昭和59年)に月1,000円、1988年(昭和63年)からは月1,500円となりました。
現在は月2,500円ですが、令和の時代の会費としては破格の安さと言えるでしょう。



【ユニフォーム】
当初は白地に紺のラインが入ったユニフォームでした。
胸には紺字で「World」、赤字で「Juniors」と書かれています。
2005年(平成17年)に紺地に白文字のユニフォームに変更され、現在のAチーム(5,6年生)の公式試合ユニフォームとして使われています。
当時はアンダーシャツ、ストッキングとも同じ紺に統一されていました。
2021年(令和3年)卒団生の代から、より明るい雰囲気にしようとアンダーシャツの色を赤に、さらに低学年が試合ユニフォームとして着ている白のセカンドユニフォームが加わりました。
【ティーボール大会】
1996年(平成8年)3月、ワールドは結成25周年の記念行事を行いました。
しかし、そのころから少子化とサッカー人気の影響を受け、学年ごとにチームを維持することが厳しい状況になりました。
低学年の子供を中心に周辺のチームにも声をかけ、「ティーボール大会」を初めて開催したのが1995年(平成7年)です。
ここ数年はコロナ禍のため開催できていませんが、低学年の子供たちが他チームと試合をできる良い機会になっています。


【歴代の代表】
初代 世良 一二三
第二代 八木沢 信男
第三代 岩根 秀春
第四代 中根 定男
第五代 長堀 努
【出典】
結成25周年記念誌「思い出のスコアブック25」平成8年3月24日
結成35周年記念「Memory of World Juniors」平成18年3月25日


